出西窯 "モーニングカップ" ブルー
出西窯 "モーニングカップ" ブルー
通常価格
¥3,600
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出西窯のマグカップの中では一番人気の定番商品です
朝食の際にミルクやコーヒーなどを飲むのに用いられる大きめのカップの事をモーニングカップと呼ぶのですが、その名の通り飲み物だけではなくカップスープにも対応できるサイズです。容量は約250cc。
取っ手には指置きが付いており、大ぶりなカップですが小柄な方でも持ちやすく作られています。
直径 約9cm 高さ 約8.5cm
※内側の白い部分に黒い点や、御本(ごほん)という斑紋のようなものがあるものがありますが、天然の材料由来の鉄分やガス等によって生じたもので、問題のあるものではありません。陶器特有の景色としてお楽しみください。
出西窯
出西窯は1947年(昭和22年)8月、農村工業の共同体構想を掲げた5人の青年(井上寿人、陰山千代吉、多々納弘光、多々納良夫、中島空慧)と2人の賛助者の協力によって創業しました。
1950年(昭和25年)7月、共同体の運営に悩みますが、隣町の隆法寺住職で哲学者の山本空外上人を訪ね終生の指導を仰ぐとともに、同年8月には、陶芸家河井寬次郎を迎え指導を受け、この時に実用陶器を志すことに定まり、窯の名称を地名より「出西窯」と改めました。
以後、柳宗悦先生、濱田庄司先生、バーナード・リーチ先生ら民藝運動の推進者たちの指導をうけ、実用の陶器作りに邁進してまいりました。
現在も、島根県出雲市斐川町出西の地で、
民藝の志を持ち、野の花のように素朴で、健康な美しい器、くらしの道具として喜んで使っていただけるものを作ろうと祈り願って同人が心を一つにして仕事をしております。
工房東側に6連房の大きな登り窯があり、現在も年3~4回の窯焚きを行っています。
昭和40年(1965)に工房を現在の場所に移転した際に、工房東隣の元は田んぼだった所を埋め立て、新たに登り窯を築窯し、昭和41年に完成しました。1回の窯焚きに約400束の松の割木(12、3本で1束)を燃やし、約3000個以上の陶器を2日間で焼き上げます。
窯焚きは 6 人が交代で薪を投げ入れます。一昼夜、薪を投げ続け、1200 ℃以上の炎と格闘する窯焚きは大変に厳しい作業ですが、陶工が焼きものに携わっていることを最も実感する仕事でもあります。
朝食の際にミルクやコーヒーなどを飲むのに用いられる大きめのカップの事をモーニングカップと呼ぶのですが、その名の通り飲み物だけではなくカップスープにも対応できるサイズです。容量は約250cc。
取っ手には指置きが付いており、大ぶりなカップですが小柄な方でも持ちやすく作られています。
直径 約9cm 高さ 約8.5cm
※内側の白い部分に黒い点や、御本(ごほん)という斑紋のようなものがあるものがありますが、天然の材料由来の鉄分やガス等によって生じたもので、問題のあるものではありません。陶器特有の景色としてお楽しみください。
出西窯
出西窯は1947年(昭和22年)8月、農村工業の共同体構想を掲げた5人の青年(井上寿人、陰山千代吉、多々納弘光、多々納良夫、中島空慧)と2人の賛助者の協力によって創業しました。
1950年(昭和25年)7月、共同体の運営に悩みますが、隣町の隆法寺住職で哲学者の山本空外上人を訪ね終生の指導を仰ぐとともに、同年8月には、陶芸家河井寬次郎を迎え指導を受け、この時に実用陶器を志すことに定まり、窯の名称を地名より「出西窯」と改めました。
以後、柳宗悦先生、濱田庄司先生、バーナード・リーチ先生ら民藝運動の推進者たちの指導をうけ、実用の陶器作りに邁進してまいりました。
現在も、島根県出雲市斐川町出西の地で、
民藝の志を持ち、野の花のように素朴で、健康な美しい器、くらしの道具として喜んで使っていただけるものを作ろうと祈り願って同人が心を一つにして仕事をしております。
工房東側に6連房の大きな登り窯があり、現在も年3~4回の窯焚きを行っています。
昭和40年(1965)に工房を現在の場所に移転した際に、工房東隣の元は田んぼだった所を埋め立て、新たに登り窯を築窯し、昭和41年に完成しました。1回の窯焚きに約400束の松の割木(12、3本で1束)を燃やし、約3000個以上の陶器を2日間で焼き上げます。
窯焚きは 6 人が交代で薪を投げ入れます。一昼夜、薪を投げ続け、1200 ℃以上の炎と格闘する窯焚きは大変に厳しい作業ですが、陶工が焼きものに携わっていることを最も実感する仕事でもあります。